ビリーフチェンジが起きた!(というビリーフ)

これまで何度かブログでも触れてきた某バンドのライブがいよいよ明日となりまして、今日はなんと本番前日にもかかわらず、リハを4時間もやってしまいました。

「やってしまいました」という表現になっているのは、(先日認知論についての投稿もしましたが)私には「練習をしすぎると本番で良い演奏が出来ない」というビリーフ(思い込み)がありまして、まあこれは過去の経験とか、イメージとか、そんなものから形成されたんだと思いますが、それもあって前日に4時間リハをするという話になったとき、正直、テンションはダダ下がりでした…

そして今日のリハもそんなダダ下がりテンションのままスタートしたのですが、終えてみれば意外に心地良い疲れと、何だかテンションも良い感じに戻った気がしています。

今回のバンドは(自分にとっては)近年珍しくキメの多い曲があったりもして、リハを重ねればやっぱりその辺は完成度が高まってくるので、それもあってなのかもな… とも思ったり。

ということで、
なんか明日は良い演奏が出来そうな気がするっ!!
(↑これもビリーフ。)


「強み」なハズの弱み

自分の「強み」が一体何なのかって、ご認識されてますか?

世の中にはいくつかの設問に答えていくだけで自身の強みが何であるかを教えてくれるサービス(Webサイト)なんかがありますが、今日、とても面白い話を聞きました。

「強み」というのは例えば「社交性」とか「責任感」とか「適応性」とか色々あって、あるサイトではそんな何十種類という要素の中から自身の強み上位5個とかを教えてくれる訳なんですが、これが面白くて、沢山ある要素の内、あなたの*ベスト*5はこれですよ、と言われているにもかかわらず、例えば5位のものを見て、(1位のものよりも)「劣っている!」「足りない!!」と悲観的に思ってしまう人がいるのだそうです。

まあ確かに5位なのだから1位よりは低いわけですが、折角あなたの強みベスト5ですと言われているのに、わざわざその中でも優劣を付けてマイナスに捉えてしまう、と…

これがベスト5ならまだマシで、ベスト34とか並べられるともう、34位の要素なんて「この要素が足りないせいで自分はダメなんだ!!」とまで感じてしまったりするそうなんです。「ベスト」なのに…

これ、凄い錯覚ですよね。例えば人が持つ特性が100個とか1000個とかあるとすれば、その中からの上位34位であれば立派に誇れる要素なのに、それだけを見るとその要素が「最低」。どうにかしなきゃ!!自分がダメなのはこれが低いせいなんだ!!とか思っちゃう。
確かにその感覚は分からなくもないけれど、それが自分の強みだ、と感じるのと、それが低いせいで自分はダメなんだ、と感じてしまうのはホント、効果は真逆ですよね~~。

ということで今回は、この件に限らず、必要以上に色々なものをネガティブに考えてしまっていないだろうか?? と考えさせられた、というお話でした。


徹夜の果てに手放したら得られた話

レジャー続きの連休から一転、日、月、火と某真面目な研修合宿に参加しておりまして、中でも2日目から3日目にかけては即席でブレゼン資料を作るために、数年ぶりの完徹作業をすることとなりました…

その合宿、2日目の昼頃にプレゼンのテーマを与えられ、案を練るにもまあ良いアイディアが浮かばない浮かばない… とは言え、昔から「追い詰められれば何とかなる」という経験も少なくないので、「その内絶対良いアイディアが出てくる!!」と自分に言い聞かせもしていたのですが、流石に夜中を過ぎ、白々と夜が明けても尚、何も浮かばないという状況には激烈に焦りました。

そしてまだ1枚もプレゼン用の資料を書いていない状態で締め切りまで残り90分という所まで来て、ようやく無理矢理資料を作り始めた訳なのですが、いやはや何だかんだでどうにかなってしまうものですね… 結果的にはなんとかプレゼンもそれなりに終えることが出来ました(ということにしておこう)。

そしてその時を振り返って今思うのは、まずはやはり「最後まで(良いアイディアが絶対出てくると)信じること」、そして、「手放す」ということの大切さです。「手放せば得られる」というのはよく言われることですが、今回もまさにそんな感じでした。あれもこれもと考えている内はそれらに囚われてどうにもなりませんでしたが、全てを手放した時、スッと迷いが消え、結果として得たいものが得られました。

※とか言っちゃってますが、ホントは全然そんなにキレイな感じじゃ無くて、迷いはゴリゴリに残っていた気もするし、十分納得出来ると言うには程遠い出来でした。が、「信じる」ことはやはり大切!!これが無かったら諦めてギブアップしちゃっていたかも知れないし、もしそうしていたら本当にゾッとする結末を迎えていたと思います。あ〜ギブアップしなくて良かった…


トイレットペーパーと認知論

アドラー心理学の重要な考え方のひとつに「認知論」というのがあります。簡単に言うと「人を取り巻く現実は、全てその人の認知によって作られている」ということで、もっと言えば「世の中は全部思い込みである」みたいな感じですね…

要するに、人が「現実」だと思っていることは、その人がそれをどう認識して受け止めているか次第なので、その認識が変われば現実も変わってしまうのだ、と。

だから、現在や未来は勿論、過去すらも(例えば「悪い思い出だ」と捕らえていた認識が「良い思い出だった」と変わることで)変えることが出来る、という訳なのです。

と、やや真面目な話から入りましたが、昨日まで家族でキャンプに行っており、そのキャンプ場のトイレにこんな注意書きがありました。

注意書き

まあ別に普通の良くある注意書きと言えばそうなんですけど、そう思えるのも「ああ、変なモノ流してトイレが詰まると困るからだな」と認識するからな訳で、でも実はそれもこの文脈で言えばただの「思い込み」なんですね。

逆に、これを見て「ここにはトイレットペーパー以外は(肝心なアレですら)流しちゃいけないんだ」と認識してしまえば、もはやそこはトイレですら無く、「トイレットペーパー流し場」という全く意味の分からない施設になってしまいます。

後者がその認識のままであれば、用も足すことが出来ずに困り果ててしまう所ですが、これを前者の認識に変えることが出来ればスッキリと健康な状態になれる!

そして、その変化をお手伝いするのがコーチングな訳です!!(なんだこの例え…)


沖縄から帰るも即キャンプというDSD

ちまたはGW真っ盛り、というかこれからが本番でしょうか…
先日も投稿した通り、今年の我が家はGW前倒しで沖縄に旅立ち、既に東京に戻っている訳なのですが、休む間も程なく、明日(というかもう今日)からまたキャンプに出かけることになってしまいました。

「なってしまいました」と表現しているのは、私が完全なる「インドア派」であることを物語っておりまして、以前は「完全に家から一歩も出る事無くGWを過ごし切る」というプチ引きこもり的生活も(何の苦も無く)楽しんでおりました。

所がここ数年は、ほぼ間違いなく「どこかに連れ出されるGW生活」を送っておりまして、何だかんだ文句を言いながらも、連れ出されでもしなければ経験出来なかったし、経験出来て良かったことが沢山ありましたので、そう思えばありがたいことだなぁと家族に感謝もしております。

そんなこんなで、自分一人なら絶対にしていなかったであろうGWアウトドアライフ…
「やらなかったであろうことをやってみる」というのは人生にとっても少なからず影響があります。変化が起きます。当ブログでも何度か書いていますが、Do Something Different(略してDSD)、アインシュタインが言ったとされる(実は本当は言っていないらしいですが)このコトバですが、要は

いつもと変わらないことをしていていつもと違う結果や変化を期待するなんて馬鹿げてるよね? それを得たいならいつもと違う行動を起こしたら?

という事なんですよね。まあ確かにそうだよなぁ~ と思うと、不思議と重い腰も軽く、DSDが出来てしまうのでした!(勿論できない場合だってありますけどねっ!!)