自転車の故障から得た教訓

ここ数日、毎朝子供を保育園に連れて行く為に使っている自転車のギアが調子悪く、操作しても空回りしている様な感覚でシフトチェンジが出来ないことが多発していました。
「出来ないことが多発」というのは、故障したと思っていると次の瞬間にはちゃんと機能する様になっていたり、そうかと思うとまた機能しない、という感じで一体何が起きているのか全然分からない状況なのです。

ギアが普通に扱えるときの操作感は、いかにもそれが切り替わる様なシッカリとした手応えがあるのですが、機能しないときには本当に「空回り」という感じで、全く手応えがありません… 一体この操作部の機構はどうなっているのだろうなどと勝手に想像しながら、ちょっと引っ張って廻してみたり、激しくガチャガチャと廻してみたり、色々と試しても全く治る気配がありません。

手応えが有ったり無かったりと、こんな現象が起きるのはもしかすると内部では(電動アシスト自転車だから)電子式に処理されていたりして、結構複雑な機構なのかもしれない… とか、だとしたら簡単には修理できないかも知れないし、結構修理代も掛かるのかも知れない… などと考えもし、ここ数日修理に出すのもためらっていたのですが、一向に治る気配も無い為、今日はあきらめて近所の自転車屋さんに持って行くことにしました。

そうして自転車屋さんに看てもらったのですが、自転車屋さんはおもむろに後輪の軸受け部のカバーを外しワイヤーの接合部を確認し、「ああ、ワイヤーが劣化して引っかかりが起きてるからですね」と、、 今回の現状は非常~に単純で簡単な事が理由で起きているのだということがすぐに分かりました。(ここまでの所要時間は、ものの30秒程…)

まあそんなこんなであっけなく故障は解決した訳なのですが、「人の悩みや問題もこんな風に、もの凄くシンプルなことを難しく考えすぎて動けない様なことが沢山有るのかも知れないなぁ~」と、今日のこの出来事を思い返しながらしみじみと感じたのでありました。
(そしてこれはコーチングもしかり。「シンプルな問題を複雑に考えすぎるな!!」ということですね…)


「絶妙な史上最強性をジワジワと実感する」の巻

先週中頃から風邪の様な症状でずっと体調が悪い日が続いておりまして、昨日はついに予定していたコーチングセッションを延期させて頂くことにもなってしまいました。関係者の皆様、ご迷惑おかけして済みませんです…

そして、今日も全快では無いものの、随分回復もしてきたのでそれなりにやることをこなしつつ、ちょっと気分をスッキリさせたいなぁと思っている所に自販機で「史上最強炭酸飲料」なるものを見つけました。

うーん、中々アグレッシヴな触れ込みだなぁどと思いながら、それを飲んでいる所を臨場感タップリに想像してみるや、中々今の気分に丁度良い「スッキリ感」が得られそうだとも思い、購入してみることにしました。

ガシャコン!という軽快な音と共に自販機の受け取り口に姿を見せる史上最強炭酸飲料… すかさずボトルを取り出し颯爽とキャップを廻すやいなや、「シュウゥゥゥゥゥ〜〜〜」というけたたましい音と共に大量に泡が吹きこぼれ出すじゃないですかっ!!!

うおおお!!なんじゃこりゃぁぁぁああ!!! と言いながらも何が起きているのか一瞬(まあ体調不良で頭がややぼーっとしていたのもあるのでしょうが)訳が分からず立ち尽くし、気が付くとボトル内の飲料は3分の1が消失し、床は吹きこぼれでベッタベタになっていました…

恐るべし史上最強炭酸飲料!!まさか自販機の受け取り口に落ちる程度の衝撃でこれ程までに吹きこぼれるとは!!! ふざけんなコノヤローー!!!
金返せっ!!! と怒り狂うかと思いきや、この激しくツッコミたくなる強炭酸性にそこはかとない面白さを感じ、笑ってしまいました。

しかしまあ、こぼれたのが3分の1で済んだというのが今にして思えば絶妙なラインですね… これより多すぎても少なすぎても笑える感は減ってしまうのでは無かろうか。ましてや例えばボトルが空になるまで全部吹きこぼれてしまっていたとしたら、流石にそれは笑える領域は超えている! まあ普通に怒るでしょう。
ということで、今回感じたのは「恐るべし、絶妙な史上最強具合っ!!!」という事でございました。

#といいつつも、床のカーペットが激烈に汚れてしまったという事実はいかがなものか、、、(やっぱり笑っている場合ではない気がしてきた…)


ヤクの毛を刈り損ねた一日

「ヤクの毛刈り」という言葉があります。
日常で割とありがちなことですが「○○をしたい」という場合に、それを実現する為に別の△△が必要で、さらにそれをする為に別の□□が必要、、 みたいな状況です。

元々ものを捨てるのが苦手な性分で、ずっと使っていない様なものを捨てられずにため込んでいることが多いのですが、流石に整理をしたいと思い、まずは読んでいない本を思い切って捨てようと思いました。

しかし、整理はしたいけれどやっぱり捨てなきゃ良かったと後悔するかも知れないと思ってしまい、捨てる前に自炊(本を裁断してスキャンして電子化するアレ)しよう!!と考えたのですが、裁断機やスキャナの置いてある作業机がまず書類の山で作業が出来ない!!!

ニワトリが先か卵が先か…
まず書類をどかす為にどこかにスペースを取らなくてはと思い、収納庫を開けて整理し始めると、またもや捨てたいけど自炊したい本が見つかったり、壊れたプリンターが出てきたりして、これを捨てようと思ったら粗大ゴミだから手続きの方法を調べようとなり、区役所のWebサイトを開いて確認… と、うおおおお!!!作業が一向に進まないっ!!!

という状況でした。
これらを、ことコーチング的な観点で捉えると、
「そもそもどうして整理したいと思っているの?」 とか、
目的論的に考えて「整理することで本当に得たいのは何?その目的は?」 みたいな問いかけをしそうになったりもする訳ですが、今日の自分(というかこの件?)は全くそういう気分ではありませんでした。

なので、そういうときは上記の様に問いかけることも不要。むしろ逆効果にもなりかねませんね。そうそうコーチングって、いつでも何に対してもそんな問いかけをすればいいという訳じゃないのですよね…

ということを、今日は身をもって実感しつつ、「ヤクの毛刈り状態」をアリアリと堪能する一日でございました。

 

 


父を想う日

今日は父の日です。

生まれて数十年、父の日というのはずっと「父親になにかプレゼントする日」という認識でした。そしてそんな私の父も数年前に他界してしまっているので、ここ数年私にとって父の日はすっかり自分に無関係な日になっていました。

ところが去年の父の日、4歳の息子からプレゼントを貰いました。
本当に微塵も予想していない所にもらったプレゼント。しかもいつの間にか、自分が貰う側の立場になっていたということを、その瞬間まで全く意識していませんでした。子供の頃私が父にプレゼントをしていたあの気持ちが蘇り、そして息子からプレゼントをもらう父の気持ちもその時初めて感じることが出来ました。

そしていつのまにか、私は号泣してしまっていました…
いい年こいてハズカシイと思いつつ、なんて幸せなんだろうと思いつつ。そして、あらためて亡き父のことも想いつつ…

で、去年そんな事があったにもかかわらず、今年も私は父の日のことを全く意識せずにおりました。そしたらば、(今年は5歳になった)息子が今回もプレゼントと直筆の手紙をくれました。

去年に続いて完全にサプライズ状態のプレゼント… 昨年の号泣を思い出しつつも、今年は一転して息子の成長具合に大爆笑する父の日となりました。

父の日2016今回もらった手紙とプレゼントはこちら。字が書けるようになった息子の成長をしみじみと感じつつもシュールすぎる絵… しかもデカい方は「お母ちゃん」だそうで、「お父ちゃん」は下の小さい方なのだとか。

そして、全くもってファンでもなんでもないのに Best Hit Alfee のCD。これも息子が「これがいい!」と選んだのだとか。(ホントかっ!!)

折角貰ったからいま聴いてますけども…(内容についてはノーコメント。)
まあとにかく、息子よありがとう!妻もありがとう!そして父も、ありがとう!!


認定証

TeamFlow認定証昨年の10月から半年間、チームフローのプロコーチ養成スクールでコーチングについて学び直しておりましたが、今年4月に同認定コーチとして認定を頂きました。
そして、「頂きました」と言いながらも、その時点ではまだ手元に無かった認定証が、先日届きました。これがあるからどうだ、と言うワケでもありませんが、こういう目に見える(触れられる)ものがあるとやはり実感は沸きますね…

そして、日付がエイプリルフールというオチも付いちゃっていますが、認定はウソじゃないですよっ!!(多分)


ビリーフチェンジが起きた!(というビリーフ)

これまで何度かブログでも触れてきた某バンドのライブがいよいよ明日となりまして、今日はなんと本番前日にもかかわらず、リハを4時間もやってしまいました。

「やってしまいました」という表現になっているのは、(先日認知論についての投稿もしましたが)私には「練習をしすぎると本番で良い演奏が出来ない」というビリーフ(思い込み)がありまして、まあこれは過去の経験とか、イメージとか、そんなものから形成されたんだと思いますが、それもあって前日に4時間リハをするという話になったとき、正直、テンションはダダ下がりでした…

そして今日のリハもそんなダダ下がりテンションのままスタートしたのですが、終えてみれば意外に心地良い疲れと、何だかテンションも良い感じに戻った気がしています。

今回のバンドは(自分にとっては)近年珍しくキメの多い曲があったりもして、リハを重ねればやっぱりその辺は完成度が高まってくるので、それもあってなのかもな… とも思ったり。

ということで、
なんか明日は良い演奏が出来そうな気がするっ!!
(↑これもビリーフ。)


「強み」なハズの弱み

自分の「強み」が一体何なのかって、ご認識されてますか?

世の中にはいくつかの設問に答えていくだけで自身の強みが何であるかを教えてくれるサービス(Webサイト)なんかがありますが、今日、とても面白い話を聞きました。

「強み」というのは例えば「社交性」とか「責任感」とか「適応性」とか色々あって、あるサイトではそんな何十種類という要素の中から自身の強み上位5個とかを教えてくれる訳なんですが、これが面白くて、沢山ある要素の内、あなたの*ベスト*5はこれですよ、と言われているにもかかわらず、例えば5位のものを見て、(1位のものよりも)「劣っている!」「足りない!!」と悲観的に思ってしまう人がいるのだそうです。

まあ確かに5位なのだから1位よりは低いわけですが、折角あなたの強みベスト5ですと言われているのに、わざわざその中でも優劣を付けてマイナスに捉えてしまう、と…

これがベスト5ならまだマシで、ベスト34とか並べられるともう、34位の要素なんて「この要素が足りないせいで自分はダメなんだ!!」とまで感じてしまったりするそうなんです。「ベスト」なのに…

これ、凄い錯覚ですよね。例えば人が持つ特性が100個とか1000個とかあるとすれば、その中からの上位34位であれば立派に誇れる要素なのに、それだけを見るとその要素が「最低」。どうにかしなきゃ!!自分がダメなのはこれが低いせいなんだ!!とか思っちゃう。
確かにその感覚は分からなくもないけれど、それが自分の強みだ、と感じるのと、それが低いせいで自分はダメなんだ、と感じてしまうのはホント、効果は真逆ですよね~~。

ということで今回は、この件に限らず、必要以上に色々なものをネガティブに考えてしまっていないだろうか?? と考えさせられた、というお話でした。


徹夜の果てに手放したら得られた話

レジャー続きの連休から一転、日、月、火と某真面目な研修合宿に参加しておりまして、中でも2日目から3日目にかけては即席でブレゼン資料を作るために、数年ぶりの完徹作業をすることとなりました…

その合宿、2日目の昼頃にプレゼンのテーマを与えられ、案を練るにもまあ良いアイディアが浮かばない浮かばない… とは言え、昔から「追い詰められれば何とかなる」という経験も少なくないので、「その内絶対良いアイディアが出てくる!!」と自分に言い聞かせもしていたのですが、流石に夜中を過ぎ、白々と夜が明けても尚、何も浮かばないという状況には激烈に焦りました。

そしてまだ1枚もプレゼン用の資料を書いていない状態で締め切りまで残り90分という所まで来て、ようやく無理矢理資料を作り始めた訳なのですが、いやはや何だかんだでどうにかなってしまうものですね… 結果的にはなんとかプレゼンもそれなりに終えることが出来ました(ということにしておこう)。

そしてその時を振り返って今思うのは、まずはやはり「最後まで(良いアイディアが絶対出てくると)信じること」、そして、「手放す」ということの大切さです。「手放せば得られる」というのはよく言われることですが、今回もまさにそんな感じでした。あれもこれもと考えている内はそれらに囚われてどうにもなりませんでしたが、全てを手放した時、スッと迷いが消え、結果として得たいものが得られました。

※とか言っちゃってますが、ホントは全然そんなにキレイな感じじゃ無くて、迷いはゴリゴリに残っていた気もするし、十分納得出来ると言うには程遠い出来でした。が、「信じる」ことはやはり大切!!これが無かったら諦めてギブアップしちゃっていたかも知れないし、もしそうしていたら本当にゾッとする結末を迎えていたと思います。あ〜ギブアップしなくて良かった…


トイレットペーパーと認知論

アドラー心理学の重要な考え方のひとつに「認知論」というのがあります。簡単に言うと「人を取り巻く現実は、全てその人の認知によって作られている」ということで、もっと言えば「世の中は全部思い込みである」みたいな感じですね…

要するに、人が「現実」だと思っていることは、その人がそれをどう認識して受け止めているか次第なので、その認識が変われば現実も変わってしまうのだ、と。

だから、現在や未来は勿論、過去すらも(例えば「悪い思い出だ」と捕らえていた認識が「良い思い出だった」と変わることで)変えることが出来る、という訳なのです。

と、やや真面目な話から入りましたが、昨日まで家族でキャンプに行っており、そのキャンプ場のトイレにこんな注意書きがありました。

注意書き

まあ別に普通の良くある注意書きと言えばそうなんですけど、そう思えるのも「ああ、変なモノ流してトイレが詰まると困るからだな」と認識するからな訳で、でも実はそれもこの文脈で言えばただの「思い込み」なんですね。

逆に、これを見て「ここにはトイレットペーパー以外は(肝心なアレですら)流しちゃいけないんだ」と認識してしまえば、もはやそこはトイレですら無く、「トイレットペーパー流し場」という全く意味の分からない施設になってしまいます。

後者がその認識のままであれば、用も足すことが出来ずに困り果ててしまう所ですが、これを前者の認識に変えることが出来ればスッキリと健康な状態になれる!

そして、その変化をお手伝いするのがコーチングな訳です!!(なんだこの例え…)